「怒り」は突発的なものか?怒る事について。
今日は自分の失敗談というか、自分に起きた話をもとに、「怒り」について考えた事を書いていきたいと思います。
うーん、まあ下らない話といえばそうなんですけれどw
そうですね、なにか思うことがあったら、どうぞコメントしてってもらえれば。では。
教師に怒った日
高校での話だ。その英語の授業は自習になっていて、テスト勉強に当てるものだった。
「英語の勉強じゃなくても結構です。」
教師のその言葉を拡大解釈した俺。机の中から、小林よしのりの「戦争論」を取り出し、読み始めた。英語の勉強じゃなくてもいいんなら、まあ大丈夫だろ。これも勉強だ。と、堂々と読んでいた。
20分程経ったあとか、教師が横を通りかかった。すると、その教師は俺の読んでいた「戦争論」を取った。そして、そのまま持って行ってしまったのだ。
その時俺は、突然、何も言われずに本を没収されたものだから、その教師に怒りを覚えた。教師に向かい、「来い」と放った。
そして彼は、自分の正当性を信じて疑わず、弁解し始めたのだ!
その時の彼の頭に理性など存在せず、ただその教師を負かす事だけがあった。
結局、放課後に職員室に行く事になった。
「怒り」の目的
「怒り」は突発的なものでは無く、"目的"があって、そのために行使される作られたもの。といのはアドラー心理学の考え方だ。そうかもな、と思う時がある。先ほどの話だと、突発的に怒ったように見えても、「教師を負かす」という目的があった。それに、よく考えてみれば大した事ないといえば大した事なく、放課後に職員室に行けばいい話だ。実際、放課後の俺はいたって冷静で、その教師と下らない話もしたぐらいだ。それに、自分にも非がある。
俺にとってその時の「怒り」は、教師を負かす「方法」だった。
怒ると、理性を失う。これは脳科学的にも実証されている事実。ディベートで、相手を怒らせたら勝てる。と言われ、テクニックとして存在している程だ。
怒って、理性を失う前に、その目的について考える。そして、冷静な脳で、違う方法を考えることが大事だ。