フリーモデルはじめました
私、フリーランスでモデルをはじめました。お仕事の依頼、待っております。
んなわけねーだろ
今日は、あるフリーモデルを名乗る女子高生についての話をしたいと思う。といっても俺はその人とは何の関係もない。ただの友達の知り合いだから当たり前だが。しかし、言いたくなったのだから仕方ない。この場で、思ったことを素直に書いて行く。
まず、高2の彼女は、いつからだかは知らんが、フリーのモデルとして活動をしている。実際に、モデル活動で撮ったんだろうな、という写真が俺のTLで流れてきた時があった。どうやら、嘘ではないようだった。
しかし、ここで俺は言いたいことがある。その数、3つある。
1.それで金とれるんか?!
実際にフリーモデルとして撮った写真に俺がどうこう言っても素人の意見。それで活動出来ているのだから、それでいいのは分かる。それで稼げるのは分かる。
でもさ、それだったら俺もフリーモデル出来そう、と素直に思ってしまう。
俺が見た写真の中だとの話ね、他にモデルとして素晴らしい写真も、もしかしたらもしかしたらあるのかも知れないけど。でも、俺が見た写真の中だと、素人と変わらんくね?カメラの性能がいいだけじゃね?とどうしても思ってしまう。
2.危ないでしょ
これは杞憂かも知れないが、仕事の依頼が来たあと怖くない?依頼主が不審者じゃない保証なんて無いわけだし、ちょっと危ないものも撮られるかも知れないし。ほんとこれは、親を通してるか、ちゃんと依頼主を選んでるかしているかも知れないから杞憂かもわからん。
3.化粧が....
単純に俺の好みじゃ無い。もうちょいナチュラルな方がいいな。あと制服はやめてほしい。その制服はダメだw
でもちょっと尊敬
最後にフォローとしてじゃないけど、ちょっと尊敬してる事を言いたい。なんで俺がこんなに腹たっているかというと、単純に羨ましいから。自分の特有の力で稼ぐ事がかっこいいと思うから。
先を越された事に腹が立った。俺は文章で稼ぐため頑張ってる、だけど彼女はこんなので....と思ってしまった。反省。稼ぎ方など無限にある。彼女のも一つの手。俺は俺で頑張ればいい。
最後に、レベルの高いモデル目指して頑張ってくださいトピーーさん
PS3フリープレイ「二ノ国」が面白い
俺が毎月楽しみにしてるものの一つに、PSフリープレイがある。色々なゲームが無料でダウンロードしてプレイ出来るサービスで、平たく言えば月額は500円。それが月ごとに更新される。一度ダウンロードしたゲームは、月額を払っている間はプレイすることが出来る。
そして今月のラインナップの一つに、「二ノ国」はあった。
レベルファイブ制作のゲームで、企画や総監督を担当したのが、日野晃博。
「あー、『イナズマイレブン』とか『妖怪ウォッチ』とかの人かー。」
その名前をテロップで見た時、そう思った。正直、プレイしたことない。「二ノ国」に期待はしていなかった。積みゲー候補としてみていた。フリープレイではよくあることである。しかし、オープニングで、その考えは覆される事になった。
アニメーション制作 スタジオジブリ
音楽 久石譲
なん.....だと......!?
いやあ、実は噂には聞いていた。ここまで素晴らしいとは思わぬんだ。ジブリの優しい画風に俺の心は鷲掴みにされていた。気づくと涙も出ていた。
ゲームの内容は半コマンド式のRPG。色々と細かなテクニックやらがあるが、RPGしてる感は強く、ストーリーも王道。ユーザーインターフェイスは整ったデザインで、味方キャラも敵キャラも可愛い。プレイしていて時間を忘れて楽しめた。このレベルのゲームが無料でプレイ出来るのは、徳をした気分だ。
ただ、移動が遅いのと面倒なお使いが多く見られたのが欠点だったかな。
あとは、子供から大人まで楽しめそうないいゲームだと思う。
「怒り」は突発的なものか?怒る事について。
今日は自分の失敗談というか、自分に起きた話をもとに、「怒り」について考えた事を書いていきたいと思います。
うーん、まあ下らない話といえばそうなんですけれどw
そうですね、なにか思うことがあったら、どうぞコメントしてってもらえれば。では。
教師に怒った日
高校での話だ。その英語の授業は自習になっていて、テスト勉強に当てるものだった。
「英語の勉強じゃなくても結構です。」
教師のその言葉を拡大解釈した俺。机の中から、小林よしのりの「戦争論」を取り出し、読み始めた。英語の勉強じゃなくてもいいんなら、まあ大丈夫だろ。これも勉強だ。と、堂々と読んでいた。
20分程経ったあとか、教師が横を通りかかった。すると、その教師は俺の読んでいた「戦争論」を取った。そして、そのまま持って行ってしまったのだ。
その時俺は、突然、何も言われずに本を没収されたものだから、その教師に怒りを覚えた。教師に向かい、「来い」と放った。
そして彼は、自分の正当性を信じて疑わず、弁解し始めたのだ!
その時の彼の頭に理性など存在せず、ただその教師を負かす事だけがあった。
結局、放課後に職員室に行く事になった。
「怒り」の目的
「怒り」は突発的なものでは無く、"目的"があって、そのために行使される作られたもの。といのはアドラー心理学の考え方だ。そうかもな、と思う時がある。先ほどの話だと、突発的に怒ったように見えても、「教師を負かす」という目的があった。それに、よく考えてみれば大した事ないといえば大した事なく、放課後に職員室に行けばいい話だ。実際、放課後の俺はいたって冷静で、その教師と下らない話もしたぐらいだ。それに、自分にも非がある。
俺にとってその時の「怒り」は、教師を負かす「方法」だった。
怒ると、理性を失う。これは脳科学的にも実証されている事実。ディベートで、相手を怒らせたら勝てる。と言われ、テクニックとして存在している程だ。
怒って、理性を失う前に、その目的について考える。そして、冷静な脳で、違う方法を考えることが大事だ。
夢を追って渡米!?やめとけwwな理由
テスト期間、早めに帰れる期間だ。帰宅した俺は、何の気なしに、普段つけないテレビをつける。弁当のフライを口にする俺の目を引いたのは「ピース綾部の渡米」の話題だった。どうやら、ハリウッド俳優を目指し、NYに移住するらしい。今の立場を放り投げるような決断の、その背景。そこには、芥川賞受賞という偉業を成した、相方の又吉の存在が見えた。
又吉と綾部の"違い"
綾部は、又吉の成功に触発されて決断した事を話している。相方が、文化人の顔を持つ芸人、という地位を自力で確立したわけだ。眩しい。ジェラシーを感じる。下世話な話、印税も羨んだだろう。実際、妬みは隠しきれていなかったと聞く。
はっきりいう、まあ無理だろうな。
又吉著「夜を乗り越える」を読んだが、又吉先生は、とるべくして芥川賞をとっている。中一のときに太宰治作品と出会い、シンパシーを感じ、文学にはまっていく。18の時に初めて小説を書いて躓いてから、小説の書き方についても考えるようになり、アホほど小説を読む。
その後も、様々な所で文を書いてきた。
1日、15時間お笑い4時間睡眠5時間という生活をしていたそうだ。
又吉先生は最初から、芥川賞を取るぞ!なんて言っていない。
頭の片隅にはあったのかもしれないが。文学を続けていたら、いつの間にかとっていた。という表現が当てはまりそうだ。
ただただ、文学を続けていただけのことだった。
対し、綾部はしたい事がはっきりわからず、目標も漠然としすぎ。実力も伴っていない。(坂上忍に演技の批判されてたし)
米国で最初何をするかと言ったら、英語の勉強。舐めてるとしか思えない。
まず正攻法は無理。多分そのことは綾部も気づいているだろう。どうやら、まずはコメディアンとして活動するらしい。果たして綾部には、ハリウッドに目をつけられる程の秘策はあるのか。みものではある。
まあ、無理だろうな(2回目)
"いつの間にか"なってるぐらいじゃないと。
「君の名は。」実際どうよ?
これがアニメか...!!
夏休みの終わりが見え始めていた、「君の名は。」公開初日の夜。突然、一通のラインが来た。友人からだ。なるほど、今話題の、「君の名は。」を見に行こうといことだな。身支度を整える。少し経って、来た友人宅の車で、映画館へと向かった。事前情報は全く無い状態であった。
到着。席に着き、他愛も無い話(長野か吉野への旅行の話)をしながら上映を待つ。いよいよ、アレが流れ、始まった。
(アレ)
♪前前前世から僕は、君を〜
すげえ.....これがアニメか....!!
全身は鳥肌、心臓は踊るように弾み、俺は大きな何かに引き込まれているようだった。
終始鳥肌で映画は幕を閉じた。内容を語るのは、もはや野暮である。
忘れられないエンタメ体験だった。
感想おわり。
「流行に乗らなきゃ死んじゃう奴ら」
「君の名は。」を見る、所謂、「普段アニメを見なさそうな方々」を揶揄して、こう呼んだのを見たことがある。
そんなこと言うなよ....
多分彼らはノリがいい方々なんだけどさ、
ノリがいいのは悪いことじゃないからね
自分が好きなバンドのライブに行ったとする。そこに、いかにも「友人に無理やり連れてこられました」感を出してつまらないそうにしてる人を見たら、なんか嫌な気分になる。
そこは、知らない曲でも取り敢えず盛り上がっとこうよ?ってなるでしょ。
以前、知らない声優アイドルグループのライブに行った。ライブといっても小さめで、勿論曲は知らない。それでも、ノリで盛り上がっていたら、結構楽しい。
ノリがいい方が楽しい
「郷に入らば郷に従え」
多分、ローマの市民はみんなノリがいい(笑)
小5の俺と"きっかけ"。練習を始める
"書く"ことに目覚めた
小学5年の時の国語の授業に、「想像力を養おう」なるものがあった。
ページに9つの写真があり、その中から一つ選ぶ。その写真から想像力を膨らませ、物語を書け!というものだ。
俺(11歳)はノート一冊分を書き上げた。
周りは殆ど1ページも満たない中でだ。
クラスで一番デキるやつも、精々2ページ半であった。実際、ズバ抜けていたと思う。楽しくて仕方がなかった。
それから、(4年くらいかけて)徐々に"書く"事で食って生きたいと思うようになったのだ。
当時のノートはどこかと聞かれたら、無い。所詮小5の書くもの、パクリも多々あり、下らない。読み返す事もない。捨てた。
多分そんなもんでいいんだな。きっかけって。
というわけで、書く練習も兼ね、「高二病随想録」(名前は変えるかもしれん)
書いていきます。